2011年6月19日

帰省ノート

日本へ帰ったり、こちらへ戻ったり、体のペースが正常になるのにだいたい一週間ぐらいかかる。今回は、体内時計が日本時間になる前に戻ってきてしまった感じであった。11日土曜日戻ってからの時差ぼけ感覚は水曜日あたりには抜けた。いつもより早め。

帰省中には思うことがいろいろとあった。今日はちょっとかたい話。

津波が来なかった地域はほぼ平常どおりの生活にもどっているんだなという印象はあったが、その津波が来たエリアというのがあまりに莫大で正直驚いた。「釜石では何々さんのところまで津波が来た」。沿岸部へ行ってきた人、ローカルテレビやラジオからは、私がイギリスでは知ることがなかった具体的な地名や覚えのある場所が聞かれ、その規模をより実感出来た。そして、もし私がその場にいたら、ここは大丈夫だと逃げなかったかもしれないとも思った。その損失した範囲があまりに大き過ぎるせいか、沿岸部が復興しているという印象は私が期待していたほどなく残念に思われた。原発もそうだ。

NHKによると、避難を余儀なくされた人々は12万4000人に上るという、公民館や学校などで暮らすもまだ4万人以上いると聞いて、自分をその立場に置き換えてみるとなんとも切なくなった。テレビでは3ヶ月すぎた今も避難生活を送る人達、大事な人を失った人達のインタビューや特集が流れてる。もちろん、苦渋を背負わざる得ない人々が沢山いることは、忘れてはいけないことだが、このような映像、報道に地震後3ヶ月毎日日本人は直面してきたのかという角度で考えてみても、その心労は膨大だろう。

そして、この国の危機を救わなければならない政治はというとどうだ。日本の政治家には、国民のために心底何かをしようと仕事をしている輩はいるのか、というのが私の印象だ。諸外国の政治が良いとか正しいとは思わないが、日本の今の政治は、日本を滅ぼしかねないと思った。混迷する政治のなか今回の地震が発生したのは、まさに不幸中の不幸で、もうごまかしは効かないのである。首相がだめなら、その首相を選んだ党は、それをどうにかする責任がある。首相が入れ替わるだけでは、何もかわらないと私は思う。政治に必要なのは、国民目線のものの考え方とチームワークではないか。だれが悪い、お前のせいだとか言っている場合ではもはやない。

日本が戦後、今の日本を築くことが出来たのは、政治の力よりも、国民の勤勉さがあったからと思う。危機感がなく、平和ボケと言われるまでになった日本人も私はそうあれる日本が素晴らしいと考えていたが、震災により、そこに政治の後押しがないことが露呈され、ひどく残念に思う。

2 件のコメント:

シュウ さんのコメント...

おっしゃるとおりだと思います。政治ごっこではなく、国民のリーダーとして真摯に全うしようとする政治家はいないということに絶望感を感じている日本人は多数(大多数)いると思います。


そして「リーダーが生まれれば違うのに」とどこか他人のせいにしている自分もダメなんだと思います。色々な人からそれぞれに「自分が出来ることを、政治に任せず何かをしなければ」と動く人達がいます。

電気が足りないという今の状況も「昔の生活に戻ろうよ」と言う人もいる。「いやいやそれは経済発展のために無理」と言う人もいる。でも政治主導ではなく、国民レベルで皆が考えている。

全うではない政治ですが、国民は全うだと確認出来たことだけが救いだと思います。

いぎりす の M さんのコメント...

まさに、国民レベルでのガンバリはすごいなと感心させられます。

日本の政治はとんでもなく混迷しているのに、国民がこれだけ全うで冷静な国ってのものとても珍しいです。

経済成長、そんなに必要なんだろうか、と思う反面、日本がこれだけ平和な国になったのもそのおかげ、この問題は今後の課題です。