2011年6月28日

帰省みやげ その三


帰省ネタばかり。でも、今回でおしまい(多分)。岩手はそばどころ。いろいろなブランドのそばあるが、比較的県内どこでも手に入り、長いこと気に入っているのが岩手町の土川そば。やや太めで、しっかりした食感。少しの量でもボリューム感がある。ちょうどこのところ、気温も高かったので、ザルでいただく。夫は、そばに関心がないので(と決めつけ)、ひとりでズルズルっと。美味いね。

うまいそばとは、そば湯もまた美味い。ひとしきり、そばをすすった後は、そば湯で一息。至福のひととき。

そんなそばも、前出の南部せんべいも食べ終わってしまった。美味しかったなぁ。

さて、当家の猫、Monoにもおみやげを買ってきた。日本のキャットフード。懐石とかいう名前の猫缶とShebaのDuo。後者のブランドは、グローバルブランドで、イギリスにもあるのだが、このドライフードタイプはない。猫缶も好評だったが、このDuo、超特大ヒット。

こんなようなつくりになっていて、箱の中には20gずつ個包装だ。こんな手の込んだドライフード商品はイギリスにはない(過剰包装は否めないが…)。

普段のドライフードに対するMonoの態度ときたら、「ドライか、ケッ、ちょっと食べてやるか(もぐもぐ)」、「もーいらなーい(スタタタター:立ち去る足音)」。という感じで、お腹が空くと仕方なく食べているといった様子。

ところが、Duoを皿に盛ると、「ドライか、チッ、ちょっと食べてや、やややや!!なんじゃこりゃー!こんな美味いもん食べたことなーい!」の勢い。一心不乱に即完食。Monoの一発完食初めて見た。翌日も同様の反応。面白いので、しっぽを引っ張ったり、いたずらしてみたりした。通常、しっぽなんか引っ張られた日には、食事放棄なのだが、完全無視。Duoにかぶりつき。中はクリーミーとか言ってるが、クリーミーを味わっている様子なく、ゲロのみしている印象。慌て過ぎてたまに咽せたりしている。

あまりの気に入りぶりを見て、イギリスのMars(Shebaブランドの会社)にドライ売ってくれと問い合わせてみた。「消費者の確かなデマンドが得られませんので、ドライを出す予定はありません」とのこと。無念、Monoの超デマンド即却下。

二箱買ってきたDuo。もうすぐ終わる。私のそばも南部せんべいも終わっちゃし、二人で静かにイギリスのごはんに戻りましょうかね。

2011年6月26日

帰省みやげ その二


男性に比べると、女性の収集家というのは少ないらしいが、私の祖母は、いろいろと集めている人だった。単に浪費家だったという話もあるが…。そのコレクションの一つが急須。ちょうど、よい急須が一つ欲しいなと思っていたので、コレクションの中から、一つ拝借。まず、色が気に入った。急須というのは、これで面倒な品。蓋がしっくり閉まり、お茶っ葉がつまらず、湯が快適に出てきて、手にほどよく収まるという条件をクリアする必要がある。なかなか条件がそろうものとは出会う機会が少ない。この急須、条件すべてパス。こちらに戻ってきてからは、日本で調達してきた玄米茶や友人からいただいたほうじ茶など毎日楽しんでいる。


そして、お茶請けは南部せんべい。小麦粉と水で出来た軽いせんべいだ。今では、チョコレート味とか唐辛子味やら何種類も選べるようだが、基本は「ごま」。そして、私のお気に入りは、削ピーナッツ。丸ピーナッツというのもあるのだが、これは、せんべいの生地がクッキータイプで、ちょっと重くて甘い。ちなみに、南部せんべいの販売店は何軒かあるのだが、私は写真の「Sせんべい店」を贔屓にしている。質感が好き。ちなみに、従姉から紹介されて読んだ堀井和子さんの本「こんなふうに食べるのが好き」で、堀井さんも盛岡に寄るとこの店のこの二種類を買うとあった(正確には削ピーナッツの極上タイプ-私のは普通タイプ)。親近感。ただ、堀井さんはチーズを乗せて、ワインと楽しむんだとか。私はあくまでお茶。たまにビール。ノーチーズ。

2011年6月25日

帰省みやげ 

帰省中はほぼ実家の片付けに終始した。地震でいろいろと落下したものものを見て、両親は、「この際、身の回りを片付けたい」と思ったのだとか。幸い、実家は瓦の飾り部分が壊れた程度で、建物への被害はほとんどなかった。

実家を新築したのは35年ぐらい前。それまで、今回ほどの大掛かりな片付けはしたことがなかったので、もう、あるわあるわ。私の子どもの頃からのものもかなりのエリア占領。私は、子どもの頃から絵を描くのが好きで、小学校の頃は、近所の画家さんのところで絵を習っていた(というよりは、遊びに行っていたの方が正しい)。そのへったくそな油彩画だけでもあるわあるわで、さらに美大なんか行っちゃったものだから、いわゆる作品がほこりを被っているし、その前は美大浪人なんかしてるから、デッサンやらなんやらの束がでてくるし。もう、卒業して、10年以上経ったしとすべて手放す。

私の分は、そんな感じで済んだが、さすが両親、長く生きているだけあり、所持品多すぎ。さらに、祖父母や曾祖母のものまであるから、もう家は巨大倉庫のよう。

物置から、出てきたもので、「これまた使いたい!」と思うものは、意外に少なかった(だから、物置にずっと放置されていたんだろうけ)けれど、なかなか立派なザルセットが出てきた。



台所用品好きの私、かなりの「ザル」ファン。すでに日常使いのザルは5つあるのだが、こちら仲間入り。

今回の帰省では、ルフトハンザ航空を利用。預け荷物の重量制限がスーツケース2個(各23kg上限)とトータルで46kgまでOKだった。マンチェスターの自宅に戻り、一つのスーツケースを開け、このザルが「でーん」と陣取っている様子を見た夫。「なにこれ、ザル!?」とちょっとがっかり気味。「このスペースがあれば、僕の剣道着が入っただろうに」の視線。(夫、去年から剣道教室に通いはじめたのだが、竹刀以外用具をもっていない。日本で購入するのにこだわっているため。)「日々のごはんに役立ちますから!」(私の言い分)。

2011年6月19日

帰省ノート

日本へ帰ったり、こちらへ戻ったり、体のペースが正常になるのにだいたい一週間ぐらいかかる。今回は、体内時計が日本時間になる前に戻ってきてしまった感じであった。11日土曜日戻ってからの時差ぼけ感覚は水曜日あたりには抜けた。いつもより早め。

帰省中には思うことがいろいろとあった。今日はちょっとかたい話。

津波が来なかった地域はほぼ平常どおりの生活にもどっているんだなという印象はあったが、その津波が来たエリアというのがあまりに莫大で正直驚いた。「釜石では何々さんのところまで津波が来た」。沿岸部へ行ってきた人、ローカルテレビやラジオからは、私がイギリスでは知ることがなかった具体的な地名や覚えのある場所が聞かれ、その規模をより実感出来た。そして、もし私がその場にいたら、ここは大丈夫だと逃げなかったかもしれないとも思った。その損失した範囲があまりに大き過ぎるせいか、沿岸部が復興しているという印象は私が期待していたほどなく残念に思われた。原発もそうだ。

NHKによると、避難を余儀なくされた人々は12万4000人に上るという、公民館や学校などで暮らすもまだ4万人以上いると聞いて、自分をその立場に置き換えてみるとなんとも切なくなった。テレビでは3ヶ月すぎた今も避難生活を送る人達、大事な人を失った人達のインタビューや特集が流れてる。もちろん、苦渋を背負わざる得ない人々が沢山いることは、忘れてはいけないことだが、このような映像、報道に地震後3ヶ月毎日日本人は直面してきたのかという角度で考えてみても、その心労は膨大だろう。

そして、この国の危機を救わなければならない政治はというとどうだ。日本の政治家には、国民のために心底何かをしようと仕事をしている輩はいるのか、というのが私の印象だ。諸外国の政治が良いとか正しいとは思わないが、日本の今の政治は、日本を滅ぼしかねないと思った。混迷する政治のなか今回の地震が発生したのは、まさに不幸中の不幸で、もうごまかしは効かないのである。首相がだめなら、その首相を選んだ党は、それをどうにかする責任がある。首相が入れ替わるだけでは、何もかわらないと私は思う。政治に必要なのは、国民目線のものの考え方とチームワークではないか。だれが悪い、お前のせいだとか言っている場合ではもはやない。

日本が戦後、今の日本を築くことが出来たのは、政治の力よりも、国民の勤勉さがあったからと思う。危機感がなく、平和ボケと言われるまでになった日本人も私はそうあれる日本が素晴らしいと考えていたが、震災により、そこに政治の後押しがないことが露呈され、ひどく残念に思う。

2011年6月18日

ふるさとの山


ふるさとの 山にむかいて言うことなし ふるさとの山はありがたきかな

JR東日本の発行している小冊子トランヴェールを盛岡へ向かう東北新幹線の中で読んだ。その号の特集は、多くの作家さんからの東北にまつわるエッセイの特別寄稿であった。その中に、内館牧子さんが数年前に心臓弁膜症で倒れ、岩手医大に入院してたときのエピソードを綴っていた。看護士さんに「今日は岩手山がきれいに出てますよ」と声をかけられたことから、その岩手山を窓際まで見に立ち上がるために必至にリハビリに励んだという内容であった。

私の実家の窓からは岩手山がバッチリ見える。「今日は岩手山がきれいに出ているよ」という会話はあまりに当たり前に行われて、そこにいるころは意識すらしなかった。故郷を離れてもうすぐ20年、その環境がいかにすばらしいかということを痛感している。

山に囲まれた盛岡で育ったからか、山の多い国の人間だからか、日本に帰る度に山に魅せられる。そして、マンチェスターに戻る途中、海援隊の歌じゃないけれど、「思えば遠くへきたもんだ」とつくづく思うのである。

2011年6月2日

行かにゃいでー


実は、明日から一週間日本に帰る。今年始めには、この時期の日本行きは予定していなかったのだが、地震で事情が変わった。私は岩手県出身である。被害の大きかった県のひとつ。実家は盛岡市なので、津波はまぬがれ、おかげさまで親戚家族はみな無事であった。ただ、やはりどうしても気になるので、戻ってみることにしたというのが流れ。

私は20代のほとんどを東京で過ごしたので、友人知人は関東に多いのだが、今回は、実家重視の短期帰省なので、東京は素通り。ということで、連絡していません。すみません、関東のみなさん、今度ゆっくり会いましょう。

写真は荷造りを邪魔する猫。猫ってほんと「箱」が好き。特にスーツケースはお気に入りで、もう出たり入ったり大忙し。決して、私を引き止めているのではない。


「こっそり忍び込んでみっちゃんについて行こうー!」「おいおい、隠れても、しっぽがでてますぞ!」